心(精神)を安定させるための安全で確実な方法〜不安から平安へ〜
20:35に更新しました。
〈今〉に生きる。〈ここ〉に住む。
過去 | 現在/今 | 未来 |
後ろ | ここ | 前 |
自我
の世界 |
真我
または 無我 の世界 |
自我
の世界 |
思考 | 無為 | 思考 |
想念
(記憶) ↓ 感情 ↓ 落胆 もしくは 興奮 |
無心
(無心) ↓ 感受性 ↓ 平安 もしくは 安らぎ |
想念
(想像) ↓ 感情 ↓ 不安 もしくは 期待 |
※. 真我の次元においての感受性とは〈気づきが可能な顕在意識的な感受性〉であり、無我の次元においての感受性とは〈気づきなき潜在意識的な感受性〉である。
自我としてのあなたは、〈記憶に基づく想念にしか過ぎない過去〉と〈想像に基づく想念にしか過ぎない未来〉の世界に生きている。
しかし、自我としてのあなただけでは〈あるがままの現在〉を〈無心に眺めること〉ができない。
簡単に言うと、自我としてのあなたの〈心/精神という器〉の中は〈思考と感情という内容物〉で溢れかえっている。
そこからわき出す〈ネガティブな記憶〉は未来に投影されて〈ネガティブな想像〉となっては〈不安な未来像〉を創り出し、〈ネガティブな感情〉をも生み出すことで、あなたは苦しむこととなる。
しかし、〈思考〉が落ち着けば〈感情〉も落ち着く。
よって、あなたが〈無我の次元〉にある〈無心のスペース〉とつながることができれば、あなたは思考から開放される。
ゆえに、〈ネガティブな思考〉に由来する〈ネガティブな感情〉からも開放されることとなる。
「自我を失くせ」ということではない。
「無我を取り戻せ」ということなのだ。
「想念を失くせ」ということではない。
「無心を取り戻せ」ということなのだ。
不安な自我(あなた)。
無我とのつながりを取り戻した自我(あなた)は平安となり、私はそれを〈正気〉と呼ぶ。
しかし、〈無我とのつながりを取り戻すための方法〉とは〈あまりにも簡単すぎる〉ので、聞く耳を持つ者はいても、地道に取り組む者などいない。
考えること(思考)も大切だ。
しかし、あまりにも思考を信じてはならない。
馬鹿な者ほど〈思考〉を信じる。
それゆえ小賢しくなるだけで、決して賢くなどなれない。
感じたもの(感情)も大切だ。
しかし、あまりにも感情を信じてはならない。
馬鹿な者ほど〈感情〉を信じる。
それゆえ感情的になるだけで、決して優しくなどなれない。
思考や感情を愛すべからず。
思いや想いを愛すべからず。
しかし、ともあれ一事が万事、阿呆な者は思考や感情などを〈信じていない〉し〈愛していない〉、そこにおいても〈無心〉なのである。
〈知性〉と〈思考〉とは別なるものであり、〈感受性〉と〈感情〉とは別なるものだからである。
そこもきちんと見極めなさい。
〈馬鹿〉と〈阿呆〉は似て非なるものなり。
〈馬鹿な大人〉になってしまうと、本人にとっても、周りから見ていても、色んな意味で痛いのだ。
私は〈阿呆な子供〉でいたい・・・
馬鹿に成るより、阿呆を残したままでいたい・・・
痛いの、痛いの、飛んでいけ〜
心も、体も、飛んでいけ〜
「もっと理解を深めたい!」
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